国語力をつけるなら!学習塾セモワ

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「本をたくさん読みなさい」と言われても…

つづきです。


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2.「本をたくさん読みなさい」

正直にいうと、筆者は読書が苦手である。理由は複数あるが、1つには、読書中は他のことができない。そして、目が疲れる。さらに決定的なのは、興味がないということ。小中学生のころの私は、本を読みなさいという先生の言葉に頑なに反抗し、読書といえば詩集をちょこちょこ読む程度だった。なぜ反抗してしまったのか。それは、上に書いた理由のせいももちろんあるが、「なぜ本をたくさん読まなくてはならないのかがわからなかった」からだろう。読みなさい読みなさいと言われても、読む気になれない。読みなさいとは言われても、その理由を教えてもらうことはなかったので、私は本を読まなかった(最終的に、大学受験の際に読んだ現代文の問題が「読書」の大半を占めることとなった)。今なら本を読むことが重要だという理由をいくつか思いつくことができる。それは、考える力、読解力、知識、興味を得ることができるからだろう。
 国語力をつけ国語の成績を上げるには、本をたくさん読めばいい。理屈としてはこうなるのかもしれないが、実は私は今でも納得していない。しかし、現に読解力等がつくことは間違いないので、苦い顔をしながらも認めることにしよう。読めるならば読んだほうがいいのだ。とはいえ、中3や高3の忙しいときになっていまさら本をたくさん読むことなんて、できないだろう。それ以外の学年でも、部活やら勉強で忙しいだろう。同じ読むなら漫画のほうが楽しいのかもしれないし、必要な読書はどちらかというと小説よりも論説・評論文なのだから、なかなか手が出なくても仕方がない。本をたくさん読むことは国語の勉強に結びつく大きな道ではあるだろうが、単純でいて実はなかなか難しい道である、と筆者は思う。
だからといって本を読むなとは言わないし、思わない。さきほども書いたが読めるならば読んだほうがいい。しかし、時間がない、読みたい本がない、読む気がないからといって、国語力がつかないわけでもない。要は、広く浅くか狭く深くの差なのだろう。難しい本をまる一冊、なんとなく内容を理解しながら読むことと、その中の一章、いや一節でも、しっかり分析しながら読むことのどちらに比重を置くかだ(読解力をつけるのが目的の場合は一節でも力がつくだろう。しかしながらその本に書かれていることを知識として得たいならば、丸一冊読むしかない)。

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「現代文」の力が他教科にどのような影響を与えるか

※この記事は、エッセイ風になっています。口調も少々堅苦しいです。
というのは、学習法の小さな本としていつか発行できたらと思い書き記しているメモ書きの一部だからです。
少し長くなりますが、お時間のある方、興味を持ってくださった方はお目通しください。
内容は主に中高生向けに書かれています。




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定期テストの点数が思わしくない。勉強が嫌い、楽しくない。あるいは、点数をもっとアップさせたい、効率よく勉強をしたい、高校、大学に行ってからも勉強を楽しみたい。君がいずれの立場の学生でも構わない。今回私が紹介したいのは、現代文の勉強の大切さと、文理に関わらず各教科の勉強のベースとなる現代文のかいつまんだ勉強方法である。
さらにフランクな話をするならば、現代文の勉強をして国語力をつけることで、おもしろい人になるということを提示したい。「おもしろい人」というのは何かと縁に恵まれ、何かと成功しがちという気がする。


1.国語という科目の重要性

 国語、とりわけ現代文は、私たちが普段用いている日本語を扱う教科、科目だ。そのため、中には取り立てて勉強をしない人もいるかもしれない。あまり言いたくはないが、重要視していない先生もいるかもしれない。国語は感性に大きく関わる教科で、答えは一つには絞れない、そういう言葉を聞いたことがある人もいるかもしれない。先生に言われたことはないだろうか、「本をたくさん読みなさい」と。なぜ本を読むように言われるのか、考えたことがあるだろうか(後述するが、この件に関しては私は学生時代頑なに反抗し続け、ろくに本を読まなかった記憶がある)。
国語は、私たちが生涯関わり続ける教科だ。人とのコミュニケーションにも、書類を書くときにも欠かせない。もちろんそれは、対面のみならずメール、電話、SNSでも同様である。国語力のある人は頭の回転がよく、人に気持ちを伝えるのもうまく、人の言うことを理解するのも早い。そういう人はユーモアのセンスがあることも多く、一言で言うと「おもしろい人」だ。おもしろいといっても、おもしろおかしいという意味ではない。知的で、信頼できて、「この人と親しくなりたい」と周りに思われるような人のことである。国語はなぜそんなにも重要なのだろうか。それはこの段落の冒頭に書いたことだが、国語が私たちの生涯に関わり続ける教科であるからである。
もっと今に直結したところから見てみよう。国語は実は、英語にも数学にも、理科にも社会にも使える。手近なことを言えば、文章を書かれた教科書を素早く的確に読み理解をすることに国語力が使えるということもあるが、それだけではない。どう使えるのかは読者の皆さんにも想像してもらいたいところではあるが、まずは英語について話をしよう。 英語は、英語圏(英語を話す人が住んでいる国や地域)の人たちにとっての国語である。彼らは私たちと同じように、英語を国語として勉強している。当然ながら、英語にも文法があり、単語もある。もし君が、国語(つまり日本語)を完全にマスターしているならば、英語の勉強はずっともっと楽になるだろう。細かい文法に関してもそうであるし、長文読解ももちろんそうである。例を挙げると、不定詞に登場する「名詞・副詞・形容詞的用法」。どういうものが名詞か、わかる人は多いだろう。形容詞は、まだ多いかもしれない。しかし副詞に関しては、もしかしたら説明が難しいと感じる人もいるかもしれないし、聞いたことがあるが何かよく知らないという人もいるだろう。名詞・副詞・形容詞がどういう働きをするのかを初めから知っている人は、不定詞の勉強がスムーズに進む。名詞的な働きをするのが名詞的用法で、副詞的な働きをするのが副詞的用法、形容詞的な働きをするのが形容詞的用法だと知っているからだ。
一方で長文読解に関してはどうだろうか。君たちは、日本語で書かれた長文ならば、よほど複雑な文章でない限りは読むことはできるだろう(読解できるかは別として)。植物の観察・実験に関わる文章であったら、またある女の子が田舎のおばあさんに宛てた手紙の内容が日本語で書かれてあったら。なんのことはない、読めるだろう。英語の長文というのは、単に文章が英語で書かれているだけである。こう言ってしまえば簡単だが、つまり、日本語にある起承転結は英語にもあるということだ。ある程度の読みやすい文章ならば、英語の文法を理解していればたいてい理解することができる。しかし中には、本当に読解力を必要とする難しい論説文というのがある。少し国語の話に戻ってみると、その論説文と呼ばれる文章は、書き手が自分の考えや意見を読み手に伝えようとして書く文章であるが、それにはほぼ決まった段落形式がある。順序は文章や筆者により様々であるが、たいてい最初に導入部分があり、そして具体例があったり、筆者の意見があったり、反対意見があったり、まとめがあったりする。各段落が何の話をしているのかを意識するだけで、文章がぐっと読みやすくなる。現代文の勉強をするときにはまずそのようにして文章を読むのだが、これは英語の長文でも同じことなのだ。
 次は数学だが、ここで私は1つ、「えっ?」と思われるようなことを言いたいと思う。それは、「国語≒数学」ということだ、この「≒」という記号は、ほぼ同じということで使われるが、さすがに「=」とは言い難いのでこれを使うことにした。国語は文章や文字を使い、数学は数字を使う。それは大きな違いなのではないか、と言われれば、実はそうではない。平仮名や漢字は、文字である。そして、数字や+、xやyも実は、文字なのだ。逆に、数字や+、xやyは記号というが、平仮名も漢字もまた記号である。記号とは、媒体、つまり介するもの、具体例で簡単に説明するとしたら、絵文字を想像してほしい。にっこり笑っている絵文字は、機嫌がいいことや嬉しいことを表す記号だ。つまりそういうことである。では続いて、「5+7=12」をいう足し算の式を考えてみよう。これは日本語にすると、「5足す7は12」とも書けるかもしれない。が、これでは足りない。「5に7を加えると12になる」。「5+7=12」が言いたかったことはこれである。もう少し難しいところから見てみることにしよう。「y=2x+5」、これは一次関数のグラフを表す式だが、これはなんと言えるだろうか。「yは、xに2をかけたものに5を加えたもの」。例えばxが2のとき、yは9だ。「yは2に2をかけたものに5を加えたもの、つまり9」、この通り、見事に日本語になった。数学記号アレルギーの人は、こういう勉強方法もあるかもしれない。
先ほど書いた「えっ?」に対する説明が、これではまだ不十分かもしれないので、少し加えておく。国語と数学をそれぞれたどっていくと、「論理学」という別の学問が見えてくる。ちょっと難しい話になるので、国語と数学は論理学を親に持つ兄弟のようなもの、という私なりの見解を言っておくに止めようと思う。興味のある人は、論理学についてちょっと検索してもらいたい。おそらく難しいことが書いてあるので、どうかその存在だけは胸にとどめておいてもらえたらと思う。
 長くなってきたので社会と理科は割愛するが、これらに関しては定期テストの勉強を始める際に一瞬でも考えてくれたら嬉しい。


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